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大正時代の自由人

気がつけば1ヶ月以上放置…
ちょっと精神的に参ったりしておりまして…
と言い訳はさておき。

先日、長野は明科へ行ってきました。
望月桂さんのご子息、
明美(あきよし)さんのお宅を訪問するためです。

望月桂さんとはー
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明治20年(1887)東筑摩郡明科町に生まれ、
松本中学校から、東京美術学校西洋画科を卒業しています。
同期には、池部鈞、藤田嗣治、岡本一平らがおり、
卒業後も親しく交遊を続けました。
望月は「芸術は売り物にすべきではなく、
美術愛好家や金持ちの占有物でもない」という信念を持ち、
労働者中心の民衆美術運動を提唱し、実践しました。

大正6年(1917)に平民美術協会を設立し、
翌々年には黒耀会を結成、
黒耀会展として4回の展覧会を開催しています。
これは日本における民衆美術展の先駆といえるものです。

その後、昭和3年(1928)に読売新聞社に入り、
犀川凡太郎の筆名で社会時評の漫画を描き、
平凡社では百科辞典の挿絵も執筆しています。

戦後は郷里に帰り、農民運動にかかわる一方、
信州の自然を題材にした作品や、
人生漫画・社会漫画などを制作したり、
松本松南高校の美術講師も10年ほどつとめました。

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ギャラリープラザ長野「望月桂展」より

朝9時ごろお宅に到着したでしょうか。
まず、庭にある、桂さんが眠るお墓にお参りに。
こちらには望月さんの代々のご先祖様が眠っています。
横にお花畑もあり、和田久太郎の骨が蒔かれているとか…

リビングに通されると、机一面にたくさんの手料理が!
朝早くから用意して下さったもよう。

訊けばご夫婦で田んぼと畑を耕していて、
すべてそこで採れたもので作ったものだそう。
お米も、麦も、野菜も、卵も。
DIYとかロハスとか、そんな言葉がぶっ飛ぶ暮らしぶり!

おいしい手料理を頂きながら、
桂さんのお話や、交流のあったアナ達のお話を伺いました。
明美さんは、「私は文章も書けないし、なにもできないから」
なんてことを仰っていましたが、とんでもない!
自給自足を実践している暮らしぶりそのものが「アナ」です!

お腹が一杯になったところで、桂さんの作品を拝見。
離れの2階に上がると、沢山の作品たち。

思わず写したこの一枚。
桂さんが描いた髑髏と爆弾、
その周りには「主義者」たちの寄せ書きが。

紙幣!株券!公債!
こんな不穏宣伝ビラはよろしく没収しろ 久太(和田久太郎)

あなあきずむ えい(大杉栄)

自由は上から他から与えられず
われみづからの努力によってのみ得らる さく太(岩佐作太郎)

Communism しぶ六(堺利彦)

鳥肌が立ちました。
あの時代の「主義者」の気配、面影です。

mochiduki.jpg
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  1. 2006/07/20(木) 15:33:40|
  2. ひとりごと。|
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