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記録

8月6日。世間的には広島に原爆が落とされた日、なのですが、
個人的には愛してやまない友人ー向井孝さんーの命日なのです。
という訳で、孝さんが広島について書いた文章を一編転載。

「記録」
一九四五年八月六日朝八時すぎ。
すでに警報はでていたが、その後情報もなかった。
やがてただ一機のB29が、広島のはるか上空を、
銀箔のようにうつくしくうかびながら、
ゆるやかにとんできたのだった。

丁度、そのとき、市内のとある銀行入口の石段にひとりのおとこがすわっていた。
おとこは少しくたびれたようにうなだれた顔に手をあてて、
何かを考えている風にみえた。
しかし、それはまもなく銀行がひらくのを、
所在なげにまっていたすがたかもしれない。
と、するどく皮膚をきりさかれたようないたみを感じ、
とつぜんおとこは、街中がまっしろにかがやくのをみた。
一しゅんおそってきたおそろしい爆風に家はおしつぶされ、
街中のビルは、ごうごうと土けむりをあげながらくずれだした。
おとこは立ち上がりさま、体ごとがあんと石の柱にぶっつけられ、
それから、どこへ消えたのか、
あっというまもなくあとかたもなくなっていた。

が、ひとつ、おとこがその生身をもって
この世にのこしていったものがあった。
おとこの五体が原子爆弾のまっしろなひかりに焼けただれたとき、
すわっていた石段に、おとこの影がくっきりとおち、
そのまま、御影石の表面にやきつけられていたのだった。
以来……年。
うすあかくやけひびわれた石段のひとところ、雨風にさらされるにつけ、
おとこの影は月日と共に次第にあわくうすずみながら、
もの悲しげに浮き上がってきた。
その影はあの日のすがたそのまま、すこしうなだれて、
石段の片隅にすわりこんでいるという。

街にはいつしかさまざまの家がたちならび、
市電はつとめ人たちをいっぱいのせて走り出していた。
ふたたび修復した銀行へ、日々百千のひとたちが石段をふんで出入りし、
そのまえをおびただしい人波が一日中あるきつづけた。
だが、その影は、街のにぎわいにも気がつかぬように、
頭のあたりに手をあてて、なにかくたびれきった姿で、
ずっと考えこんだままだという。
原爆による広島の死者二十万。
そのおとこがどこの誰で、なぜそこにいたのかさえ、今は知るすべもない。
が、ひとしきり勤め人がゆきかえる夏の日のひけどき頃、
丁度ながれてくるうすい夕日をあびて、その影は、
ふとほのじろくうきあがりながら、なにかを一心にかんがえこみ、
いまもなおあの日そのまま、石段のかたすみに、
じいっとしずかにすわりこんでいるのだという。

一九四九年十一月  向井孝
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  1. 2005/08/06(土) 10:40:31|
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